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黄海海戦(こうかいかいせん)は1904年(明治37年)8月10日に大日本帝国海軍連合艦隊とロシア帝国海軍第一太平洋艦隊(旅順艦隊)との間で戦われた海戦〔帝国海軍と鎮海 幹部学校第2研究室長高橋哲一郎 海上自衛隊幹部学校 2012/05/25〕。この海戦でロシア太平洋艦隊の艦船は激しく損傷し、以後大規模な海戦を行うことはなかった。 == 背景 == ロシア太平洋艦隊(以下旅順艦隊と記述)司令長官であり、優れた海軍軍人であったステパン・マカロフ中将が、日本海軍連合艦隊(以下連合艦隊と記述)との一連の戦闘により戦死する。その後任として司令長官職を代行することとなったヴィリゲリム・ヴィトゲフト少将は、防備の堅い旅順港に出来るだけ閉じこもり、連合艦隊との直接的な衝突を避け艦隊を温存するという消極的な行動を見せていたが、極東総督エヴゲーニイ・アレクセーエフは旅順艦隊に対しウラジオストクへの回航を強く命令した。これを受け旅順艦隊は1904年6月23日に一旦出航したものの、連合艦隊に遭遇したためすぐに港内へ引き返した。しかし日本陸軍第三軍による陸上からの旅順要塞攻撃が開始され、8月に入り第三軍と行動を共にしていた日本海軍陸戦重砲隊が大孤山に設けた観測所を使って照準を行い、旅順港の艦船を砲撃した。8月9日、命中弾により戦艦「レトヴィザン」が水線部に、戦艦「ツェサレーヴィチ」は艦橋に損傷を受け、ヴィトゲフト自身も負傷するなどの損害を受けた。ヴィトゲフトはこのまま旅順港に艦隊を置いておくことが危険になってきたと判断し、艦隊の大部分を旅順港からウラジオストクへ回航することを決定した。なお小さな砲艦や直前に触雷して修理中の装甲巡洋艦「バヤーン」は旅順残留とした。一方連合艦隊側は、バルチック艦隊が到着する前に旅順艦隊を壊滅させておくことで、艦隊数による日本側の不利な状態を極力改善しておきたいことと、当面の日本海における制海権を確保しておく必要性があることから、旅順艦隊が港から出てくるのを待ち望んでいるという状況があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黄海海戦 (日露戦争)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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